事務局からのお知らせ

「明日へ」第5回

3月22日 高田病院入り口です..

03_22_高田入口

 

津波後の内部です..

津波後_院内

 

自宅のバラの鉢植えや何年も時間をかけて株をふやしていたアツモリソウの鉢はどこにもありませんでした、と後年石木先生はその体験記で語っておられます..

福島県立医科大学医学部 小児科学講座 細矢 光亮 先生 寄稿

「ほそくながく」
2011年3月の東日本大震災から6年が経ちました。これまで、全国のたくさんの方々より温かいご支援をいただきましたこと、心より感謝申し上げます。
太平洋沿岸部にある公立相馬病院は、地震、津波、原発事故で大きな被害を受けた相馬双葉地区にあり、この地区で唯一の小児入院施設を有する小児医療の砦です。常勤医3名が地域小児医療を担ってきましたが、震災後は原発事故による避難者の増加もあり、常勤医が疲弊しておりました。日本小児救急医学会を通じた公立相馬病院への休日診療支援は、常勤医の心身の負担を軽減するのに大いに役立ちました。
2013年10月から、日本小児救急医学会の支援募集医療機関に福島県中通り中部にある公立岩瀬病院を加えていただきました。公立岩瀬病院は地震被害により旧病院の使用が困難になりましたが、幸い竣工されたばかりの新病院に円滑に移転し、診療を継続することができました。震災前と同様に常時20-40名の入院患者がおり、これを僅か3名の常勤医が粉骨砕身し、これに日本小児救急医学会の支援をいただき、この難局を乗り切ってくれました。2017年4月には周産期医療を担う新病棟がオープンし、福島県中通りの小児科診療拠点の一つに成長しつつあります。
2015年8月から福島県南会津地方の県立南会津病院を9番目の支援施設に加えていただきました。超過疎地域ですが、他の医療圏からは遠く離れており、たった1人の小児科医がこの地域の小児医療を護ってくれています。休日の診療支援をいただき、常時拘束される状況から解放される時間を持てるようになりました。
一旦崩壊しかけた福島県の小児医療体制でしたが、日本小児救急医学会「東日本大震災小児医療復興新生事務局」を通じた様々なご支援をいただいたこともあり、順調に回復してきています。これからも、「ほそくながく」ご支援をお願いします。

2017年3 月11日

細矢 光亮

細矢写真

「明日へ」第4回 「医療従事者もまた、被災者である」

3月16日、高田病院副院長先生が倒れました

そこで石木先生は、「われわれも被災者である」とし、職員の休養を宣言、

救護所設営と避難所巡回が整った3月22日から4月3日までの2週間職員に休暇を

とることとしました.

写真は3月22日の市街とのことです

03_22_市街

「明日へ」第3回

あの日より3日目、3月14日、大きな避難所を回り、

ごった返す避難民を目の当たりにした石木先生は、以下の4つを

大きな方針として打ち出します

1.地域に救護所を建てる

2.慢性疾患に対応できるように検査態勢を整える

3.緊急用の薬(抗凝固薬、降圧薬、ステロイド、喘息用薬剤)を確保する

4.調剤薬局を立ち上げる

 

救護所は、気仙町、竹駒・矢作地区、高田町、米崎町、小友町、広田町と選定

高田町→3/12午後より、日本赤十字社(高田第一中学校内)

米崎町→3/14より高田病院(米崎コミセン)

広田町→広田診療所(広田小学校)

気仙町→3/15より高田病院

竹駒・矢作地区→支援隊(公民館)

小友町→3/20ころより支援隊、近隣開業医

3月17日ころには、全国の支援チームが駆けつけ、各救護所に向かってくれたとのことです

写真は3月20日

3_20_支援隊

「明日へ」第2回

避難した12日当夜から、患者が数人訪れた米崎コミセン、

聴診器、血圧計、薬、何もない中アドバイスだけして帰宅してもらい

職員の皆様は、近所の方々が持ち寄った着替え、布団、そして

おにぎりと味噌汁の炊き出しでようやくに眠りにつきました

翌13日、朝から患者は50名ほど来院、近隣の介護保険施設に併設されたクリニックから

解熱剤などの緊急薬のみ分けてもらい診療を再開しました....

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待合