みんなのコメント[岩手県立大船渡病院]

8月のお手伝いに来て岡成和夫(所属:大分大学小児科)

2014/08/27 [岩手県立大船渡病院]
お盆の期間中、地元の方々が、ふるさとを思い、たくさん帰省されていることは、
素晴らしいことだと思いました。
私も自分のふるさとの山口を思い起こすことができました。
当時、震災のことは九州から想像することは難しかったですが、
地形や環境を拝見しますと、 大分の沿岸部はほぼ同じ状態であり、
我々のいる大学病院がまさに大船渡病院の役割をすることになることが、
よくわかりました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

碁石海岸の石渕向 透(所属:岩手県立大船渡病院 小児科)

2014/04/28 [岩手県立大船渡病院]
4月23~26日まで大分大学小児科 末延聡一教授が気仙地域を訪れました。震災以来3回目の支援で、前回同様大船渡病院、高田病院の診療をお願いしました。大船渡市の観光名所である碁石海岸の名前の由来で盛り上がりましたが、残念ながら碁石海岸の石は本物の碁石にはなっていないようでした。写真は先生にお願いして開催した1年目の初期研修医を対象とした小児救急の研修会の様子ですが、当院にとっても貴重な機会となりました。これからもよろしくお願い致します。

自然の力、人間の力竹内 芙実(所属:国立精神・神経医療研究センター)

2014/03/31 [岩手県立大船渡病院]
初めて大船渡と陸前高田を訪れました。
十数メートルの津波と化したことが想像できないほど、穏やかで美しい海が見えました。けれども、海沿いには埋立地の工事現場のような広大な更地が広がり、わずかに残る建物には凄まじい天災の爪痕が刻まれていました。
震災当時、生死の境目を目の当たりにし、人々が経験した恐怖や悲しみの大きさは計り知れません。
自然の猛威を前に人間はちっぽけな存在であることを、改めて感じました。
けれども、震災から3年、支え合いながら大変な状況を乗り越え、前を向いて暮らしておられる人々の姿に、人間の持つ強さとしなやかさを見ました。
自然と共に、人々が安心して笑顔で暮らせる町への再生が一歩ずつ進むことを、心から祈っています。
短い滞在でしたが、暖かく迎え入れて下さった大船渡病院と高田病院の先生方ならびに職員の方々に、深く感謝申し上げます。
また少しでもお手伝いできればと思います。

「ほそく、でも、ながい」お手伝い上田 一仁(所属:名古屋大学小児科(前 公立陶生病院))

2014/03/14 [岩手県立大船渡病院]
2013年8月、東日本大震災小児医療復興新生事務局のお力を得て、私は初めて震災後の岩手県を訪れさせて頂きました。
2011年3月当時、初期研修医であった自分は、「何かしたい」と思いながらも、勤務先の病院が派遣した医療チームを応援することしか出来ませんでした。その後、小児医療に携わる中、この事業のことを知り、夏季休暇を利用して応募させて頂きました。
 震災前後を通じて岩手県を訪れたのは初めてでしたが、そこで目にしたものは私の想像を遥かに超えていました。震災と津波の未だ消えない傷跡、あの日のことを無言で伝える震災遺構、未だ十分とは言えない復興状況… そこには、岩手山をはじめとする美しい自然とはあまりにも裏腹な現実が横たわっているように思いました。
しかしその一方で、大船渡、陸前高田、遠野の各病院で懸命に働かれている先生方の姿に接し、深い感動を覚えました。また、2011年のあの時、全国から集った医師が時間を共にした小屋の壁には、熱いメッセージがびっしりと書かれていました。同時に診療の合間には病院のスタッフの方々からも手厚いお心づかいを頂き、岩手の方々の温かさをしみじみと感じました。
こうした光景は、愛知に帰った今も忘れることが出来ません。そんな自分に少なくとも今できることは伝えることだと思い、訪問時の写真を時折見せながら、この事業のことを周囲に紹介したりしています。
季節柄患者数も少なく、また1日体調を崩してしまったこともあり、今回自分が「支援させて頂いた」などとは決して申し上げられません。むしろこれからも、自分にできる「ほそく、でも、ながい」お手伝いの機会を伺っていこうと思います。私の心に、色々なものを頂いた本事業に、改めて感謝申し上げます、ありがとうございました。

東北から日本全土へ井上 真紀(所属:大分大学医学部小児科)

2014/01/09 [岩手県立大船渡病院]
この度、東日本大震災から遠く離れた九州の大分から、大船渡病院と陸前高田病院へ東北診療応援に参加させていただきました。
初めて訪れた大船渡市・陸前高田市は、想像していたよりも復興はすすんでおらず、いまだに震災の傷跡が生々しく残っている印象を受けました。多くの方が仮設住宅に住み、仕事も少なく、利便性の悪い環境を目の当たりにし、震災から3年近く経った今もこの生活を続けている方々の苦労は計り知れないものと感じました。実際に仮設住宅にもお邪魔させていただきましたが、12月でも床や壁から冷気が伝わり、とても寒々しかったです。
私が支援に行ったのは3泊4日でした。2年以上経った被災地で、この短期間にできたことはほんの少しの日常診療だけです。東北診療応援を現地での活動量だけで測るなら、私の行ったことはとても些細であり、意味がないと言われればそうかもしれません。ただ、私が被災地に行って得たことは非常に多く、実際に行かなければ感じ得ないことばかりでした。まず一つは被災地の現状、人々の思いや復興の経過について身をもって知りえたこと、もう一つは被災地が中心となって広がる各県の医療者を含めた人々の輪とつながりを持てたことです。
 大分に戻った後は今回経験できた全てを出来る限りの人々と共有することはもちろん、被災地を中心とした小児医療の輪から大分県に足りないものを吸収し、また大分県の優れたところを被災地を通じて日本全土に発信していくことが必要だと感じました。私の力だけでは微力ですが、多くの方が東北に訪れて同様の経験をすることで、被災地を中心とした輪が広がっていき、被災地だけでなく日本中の医療が発展していけると考えています。