事務局からのお知らせ

日本小児救急医学会 理事長 市川 光太郎 先生よりコメント

丸5年!

東日本大震災と大津波から、丸5年、復興〜新生への道程は始まったばかりという程度に過ぎないと完全新生までの道程はきわめて長期のスパンを要するものだろうと推察します。

5年の間に、世界も日本も大きなうねりの中で、色々な変化・変動にさらされている状況で、目を見はる、或いは目を背けたくなる事象に遭遇しています。しかし、3.11.の傷跡は変わらないままであり、まだまだと言うより、もっともっと支援の手が必要な状況と考えています。

小児医療復興新生事務局の設立から丸3年余り、そのあゆみはまさに「ほそくながく」ですが、確実に足跡を残し、足跡の彼方に将来への期待が見通せます。地域小児医療支援につながる医療提供体制が構築されていくことを願うばかりです。

日本小児救急医学会として、救急という急性期のみではなく、まさに回復期の医療支援も救急医療の時間軸の中で、車の両輪と考えて、向かい合わなくてはならないと考えています。心ある会員が一人でも二人でも復興新生事務局を通じて支援の手を差し伸べてくださることを心から願いながら、「ほそくながく」の活動が言葉どおり続いていきますことを願っています。

2016.3.11

写真_市川光太郎

日本小児救急医学会雑誌 15巻1号 66-74 (2016年)

日本小児救急医学会 災害医療委員会 東日本大震災継続支援ワーキンググループの活動報告を

掲載させて頂きます(こちら

事務局代表 挨拶 岩手県 医師支援推進室 医師支援推進担当課長 福士 昭より

「東日本大震災から5年 ~子どもたちの笑顔のために~」

 平成23年3月11日。岩手・宮城・福島の3県に未曽有の被害をもたらした東日本大震災。

あれから5年の節目の日を迎えました。

 

あの日、あの津波は、私たちから、かけがえのない人や家族で過ごした大事な場所、思い出がいっぱい詰まった大切なものなど、全てを奪い去っていきました。

そして、5年の歳月が流れた今でも、深い悲しみが癒えることはありません。

 

津波の被害により深い傷跡を残した被災地では、街の復興と生活の再建に向けて槌音が鳴り響いていますが、まだまだ復興の途上にあり、今もなお、多くの方々が応急仮設住宅等での不自由な生活を余儀なくされるなど、被災者の生活は依然として厳しい状況におかれています。

 

このような中、私たちに希望の光を照らし、子どもたちの笑顔を取り戻すために、救いの手を差し伸べてくれたのが全国の小児科医師の皆様による温かいご支援でした。

 

これまでの幾多にわたるご支援に対し、この場をお借りして厚く御礼申し上げるとともに、本事業を支えてくださる学会関係者や関係大学の皆様、関係各位のご尽力に対し、深く敬意を表する次第です。

 

この事業をきっかけに生まれた被災地と全国の小児科医師の皆さんと結ばれた命の絆は、あの日から5年が経過した今もしっかりと受け継がれています。そして、その支援の輪はさらに広がり続けています。

 

これからも将来にわたって、子どもたちとそれを見守る全ての方々がそれぞれの地域で安心して健康で暮らせるよう、この事業が未来ある子どもたちの健やかな成長を支え、命をつなぐ希望の灯として、「ほそく ながく」ともし続けていけることを強く願っております。

 

今後とも、被災3県の9病院・施設へのご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

      平成28年3月11日

日本小児科学会会長 五十嵐 隆 先生よりコメント

日本小児救急医学会 災害医療委員会 東日本大震災継続支援ワーキンググループ(WG)の活動が5周年を迎えられたことをお慶び申し上げます。

同WGが東日本大震災で大打撃を受けた岩手県、宮城県、福島県の医療施設に、2015年9月末日までにのべ 1,119日、485件の医療支援をされてきたことに感謝いたします。地域の医療ニーズに合わせた医療支援を地道に途切れることなく実行することは簡単なことではありません。これまで同WGが支援をされてきた地域はもともと医療過疎の状況にあるところが多く、同WGの継続的な医療支援はそれらの地域に大きな助けとなったことは間違えありません。これからも医療支援の必要な状況にある地域は少なくなく、同WGが活動を続けられることを願っております。また、日本小児科学会としても同WGの活動をこれからも支援したいと考えます。

顔写真2012(五十嵐先生)