事務局からのお知らせ

特別寄稿 東日本大震災小児医療復興新生事務局 福島県担当 伊藤諒介

未曾有の被害をもたらした東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故から間もなく10年を迎えようとしております。福島県では、全町避難を続けていた双葉町の避難指示区域の一部解除や東日本大震災・原子力伝承館の開館など復興が着実に進展している一方、未だ3万6千人を超える方々が避難生活を余儀なくされており、復興までの道のりは長く険しいものとなっています。

現在秋田県からの復興応援職員として福島県に出向している身ではありますが、震災当時岩手県で大学生であった私は、この震災のもたらした被害の甚大さ等を肌で感じているだけに、現在こうして本事務局の福島県の担当として復興業務に従事することができ,とてもやりがいを感じております。

今年度においては、新型コロナウイルス感染症予防の観点から、御支援のお申し出をいただきました先生方の受け入れをお断りしなければならない時もあり、大変申し訳ない気持ちも感じているところです。しかしながら、福島県の小児科医不足は喫緊の課題であり、引き続き御支援が必要な状況にあります。

全国の小児科医の先生方におかれましては,引き続き変わらぬ御支援を賜りますよう,どうぞよろしくお願いいたします。

福島県保健福祉部医療人材対策室

主事 伊藤 諒介

「海を望む場」から 岩手県医師支援推進室 医師支援推進担当課長 山﨑 重信

陸前高田市に新たに整備された高田松原津波復興記念公園の「海を望む場」から見た広田湾の画像です。
手前には松原再生のために植樹が進められている様子が見えます。
本当に素晴らしい景観で、犠牲者に対する追悼の念と自然に対する畏怖の念とで思わず合掌してしまいました。

岩手県医師支援推進室 医師支援推進担当課長

山﨑 重信

海を望む場 の詳細は、東北国営公園事務所のリンク

特別寄稿 岩手医科大学医学部小児科学講座 教授 小山耕太郎 先生

東日本大震災小児医療復興新生支援事業へのお礼のことば

 

東日本大震災からまもなく10年が経とうとしています。この間、全国の皆様から多くの温かいご支援をいただきましたことに厚くお礼申し上げます。日本小児科学会、日本小児救急医学会におかれましては、東日本大震災小児医療復興新生事務局を通して、全国の小児科医の皆様に被災地における診療応援を募集していただき、心より感謝申し申し上げます。被害がとくに甚大であった気仙地域の県立大船渡病院と高田病院、内陸の遠野病院、胆沢病院、磐井病院にはこれまで多くの先生から応援をいただきました。あらためてお礼申し上げます。

東日本大震災津波は、岩手県では、2020年1月現在、死者4,674名、不明者1,112名、そして多数の関連死をもたらしました。県内の被災地は災害復興道路の整備が進むとともに大規模なかさ上げ工事が終わり、予定されていたすべての災害公営住宅が完成しました。しかし、宅地整備の遅れや工事の順番待ちなどからまだプレハブに暮らす住民もおり、震災の風化がいわれるなかで、生活やコミュニティーの再建はむしろこれからというのが実情です。また、こころのケアや子育て支援が必要な子ども、家族も多くみられます。一方で、震災の経験や教訓を将来に伝承しようとする子どもたちが現れているのは大きな希望です。

県内各医療圏はもともと医師不足に悩んでいましたが、とくに被災地は、地理的な特徴から医療圏が孤立しやすく、支援が困難です。まだまだ苦難の続く被災地の住民にとって、小児科医の確保は、地域で生きる支えのひとつであると思います。今後とも皆様の応援をお願い申し上げます。

 

令和3年1月25日

岩手医科大学医学部小児科学講座

小山 耕太郎

特別寄稿 阿部こどもクリニック 院長 阿部淳一郎 先生(石巻市)

2021年3月であの日から10年を迎えます。石巻市では多くの方が亡くなりました。

あの当時の地元新聞を見返しました。死亡者名簿が掲載されて、患者さんの名前を確認したときの気持ちは忘れられません。信じたくないけれども、載っている。あの住所なら、それもあると認識。悲しい記事の連続でした。他には、給水がどこで行われる、食事の配布があります、入浴がどこそこでできます。仙台までの数本のバスの時間。生活に必要なことが掲載されました。やがて、時間とともに記事は普通に戻っていきました。

石巻赤十字病院の小児科は2000年代に入るまでは、常勤医師2名と非常勤医師1−2名で、相対的に開業医の役割は大きいものでした。夜間診療は当たり前ですが、週末の医療も在宅当番医が主でした。しかし、ニーズをフルカバーできず、2002年5月から平日夜間診療を夜間急患センターに移し、石巻市医師会小児科医と隣接医師会の小児科医、そして内科医の協力を得て開始。なんとか継続させて頂いたところに、東日本大震災を経験。その後、震災を契機に宮城県小児科医会、東北大学小児科、石巻赤十字病院小児科と、東日本大震災小児医療復興新生事務局のお力添えでの派遣医師のご支援で維持されております。今後も、開業医の個の力から基幹病院や全国的な小児科医のご支援に軸を移していければ、小児科医が不足する地方都市でも小児医療が継続されます。コロナウイルスの流行で、地方都市での生活のメリットが再認識されます。そのときに必要な要素の一つは、医療の提供だと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。ありがとうございます。

阿部こどもクリニック

阿部淳一郎

 

 

 

 

特別寄稿 福島県立医科大学小児科 教授 細矢光亮 先生

2011年3月11日の東日本大震災から間もなく10年が経ちます。福島県では、日本小児救急医学会「東日本大震災小児医療復興新生事務局」を通じて、全国のたくさんの方々より、県内の3つの病院に対して温かいご支援を頂いております。
福島県太平洋沿岸部の相馬双葉地区にある公立相馬病院は、地震、津波、原発事故で大きな被害を受けましたが、この地区で唯一の小児入院機能を堅守しています。中通り中部にある公立岩瀬病院は、常時20-40名の小児入院患者があり、2017年4月には周産期医療を担う新病棟がオープンして周産期・新生児医療も始まり、県中地域の小児科診療拠点の一つに成長しています。超過疎地域の南会津地方にある県立南会津病院は、他の医療圏からは遠く離れており、たった1人の小児科医がこの地域の小児医療を担っています。

お蔭様で、一旦崩壊しかけた福島県の小児医療体制は、ようやく回復に向かっております。これからも、「ほそくながく」ご支援をお願いします。

 

福島県立医科大学小児科 細矢光亮