事務局からのお知らせ

今年もありがとうございました. 年末年始支援受入の調整につきまして

今年も全国のみなさまからの変わらぬご支援をいただき、新型コロナウイルスの流行による影響も大きい中ではありますが、「こころをつむぐ、ほそくながく」本事業が継続できましたことにつきまして、事務局一同感謝申し上げます.

年末年始も多くのご支援をいただく予定となっており, 誠にありがとうございます.
新年明けましても、引き続きみなさまのご支援をよろしくお願いいたします

なお、誠に勝手ながら年内のご支援の受付は、調整期間を考慮し、12月28日(月)までとさせていただき、年末年始中に寄せられたご支援の申出につきましては、1月4日(月)以降、順次調整させていただきますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます.

みなさまもどうぞよいお年をお迎えください.

事務局一同

特別寄稿 辻 祐一郎 先生(現 福島赤十字病院 小児科)

東日本大震災9年後の福島で勤務することになったのは

私が初めて被災地に足を踏み入れたのは、震災の翌年でした。場所は宮城県気仙沼市立本吉病院です。

ある朝のNHKテレビで「インフルエンザワクチンを被災者の人たちに打ちたくてもドクターがいない」との当時の本吉病院川島院長の報道を観たからです。“インフルエンザワクチン接種なら僕にもできる”と考え、その日に勤務先のせんぽ東京高輪病院(現JCHO東京高輪病院)の院長に派遣のお願いに行ったところ「気仙沼の船員保険組合療養所も大きな被害をうけた。お前で何か役立てることがあるのなら直ぐに行ってこい」との事で旅立ったのが始まりです。本吉病院では、小児科しかできない私にスタッフが優しく接して下さってかえって私が癒されました。何度も何度も沢山の方々から同じことを聞かれて話したであろう震災の当日の様子を面倒なそぶりも見せず話してくださいました。その後、陸前高田の高田病院、岩手県立大船渡病院でも短期勤務させていただきました。

これまで、小児科オンリーの診療をしてきた私にとって、成人の外傷や高血圧の老人の診察などをさせていただき本当に貴重な体験でした。

「東北に医療支援に行ってきます」と言って東京を出かけてきた私は、震災後の東北で診療を経験することによって勉強をさせていただき、そして癒していただいたのです。

実際は「東北に癒してもらいに行ってきます」でした。

本当に感謝・感謝・感謝です。

その後は、週末のみの勤務が可能な福島県公立相馬病院小児科に伺うことになりました。

この相馬病院小児科の伊藤部長との出会いが、私の人生をくるわせることになりました(笑)

相馬病院での勤務の際は、土曜日の昼に東京を出発して夕方に相馬に到着します。そこで先ずは病院が用意してくれる「ホテルふたばや」にチェックインします。この「ホテルふたばや」が重要です!どうしてかは、ご自身で体験して頂ければと思います。

初めて公立相馬病院に伺った際には、伊藤部長先生が震災時のお話や今の相馬の状況などをたくさんお話して下さいました。

公立相馬病院小児科の週末勤務に来られる先生方はほとんどがリピーターと伺っておりますが、私は「ホテルふたばや」と「伊藤部長(副院長)」の二つのファクタが原因であると確信しております。

その後、この不思議なご縁が数年間続きました。

そしてなんと伊藤先生のお口添えで、令和2年4月から福島赤十字病院小児科で勤務しています。福島県立医大小児科細矢教授のご高配を頂きとうとう常勤医になってしまいました!

まだまだ話したいことはたくさんありますが、長くなりましたので終わりにします。

(まとめ)

福島に来て思ったことは、「空がとても青い」事です。決して東京では見ることができません!

周りのスタッフに「福島の空は青くてとてもきれいだね!」と話しかけるのですが、返ってくる返事はいつも同じで「そうですか⤴いつもとかわんないですけどね⤵」と独特のイントネーションで返ってきます(笑)

もし、ご自身の勉強と癒しを求められているのでしたら、私からは「福島や東北に来て、どこまでもどこまでも青い空をご自身の目でみてみてください!そして癒されながらたくさんたくさん勉強してください!」とお伝えしたいです!

福島赤十字病院 小児科 辻 祐一郎

写真は2016年ご支援当時(事務局掲載)

 

特別寄稿 太田栄理子先生(元 岩手県立胆沢病院 小児科長)

2012年から8年間、岩手県立胆沢病院にお世話になりました。常勤小児科医は一人であり、私の力量には余る仕事でしたが、他科の先生、スタッフや応援の先生方に助けられ、大きな事故もなく終えることができました。そして、よくわからない症例・病態にぶつかった時には、子ども達が最大の教科書になりました。

現在は今年5月から徳之島徳洲会病院に勤務しております。胆沢病院時代に、長年応援に来てくれていた丸谷先生のご紹介です。今の状況は、ある意味で胆沢病院より過酷です。島に常駐している小児科医は私一人のため、何もかも集中してきます。ここで何とかやれて行けるのは、岩手での経験があったからこそと思っております。

しかし、ここで最も難しいのは搬送です。当院には産科もあり、日齢0からの搬送もあり得ます。今のところ日齢2が最少です。急変の可能性が高く天候のいい昼間ならDrヘリ、天候が悪ければ自衛隊ヘリ、もっと悪ければ海上保安庁の船です。すぐに急変する可能性が低ければ民間機です。RSウイルスが大流行し、日齢20の児から何人も転院させましたが、ほとんど民間機でした。ところが日に2便しかなく、夕の民間機に間に合わないときは当院に1泊入院させました。台風の時はよくなるまで当院で診た児もいました。

今後、搬送が間に合わず、不幸な転帰をとる児も出てくるとこと思われます。できれば診断書は書きたくないものですが、やむを得ません。

ところで私の趣味は山歩きです。岩手にいたころは雪解けが待ちきれず、山に行っていました。徳之島には高い山はありませんが、登るのにちょうどよさそうな山がいくつかあります。でも、ここに来てから一度も登っていません。ハブがいるからです。ハブは冬眠もしないそうです。熊より恐―い‼

徳之島徳洲会病院小児科 太田栄理子

写真は、徳之島徳洲会病院に面接に来た日に海岸で出迎えてくれたウミガメ だそうです(事務局但し書き)

特別寄稿 岩手県立久慈病院 小児科長兼医療研修科長 遠藤正宏

東日本大震災から10年目を迎えて

あの大震災から10年、長いようで短くも感じます。久慈医療圏でも野田村で中心部が壊滅的な被害を受けるなど、多方面に大きな影響が生じました。震災後に感じるのは岩手県民の皆様の苦境に負けない力強さと粘り強さでした。日常生活が立ち行かない方もいる中で、お互いに助け合ってここまで来られたのだと感じます。その中で顕わになったことは医療的ハード面、ソフト面の偏在化なのだと改めて気づかされます。特に久慈医療圏は高齢化・過疎化の先端をいくような地域であり、従来抱えていた問題点が大災害を経てより明らかになってきました。そして、震災に匹敵するような天災が繰り返され、COVID-19が猛威を振るう中で、これらのことは全国どの地域でも起こりえることなのかもしれません。当院でも復興支援を通じて多くの支援を賜って参りましたが、岩手の片田舎に興味を持って遠方から来て頂くことに感謝の念を禁じえません。これまで来られたすべての先生方と事務局にはこの場をお借りしてお礼申し上げます。

岩手県立久慈病院 小児科長兼医療研修科長 遠藤正宏

写真 小児科外来スタッフと遠藤医師(右から2人目)

特別寄稿 岩手県立遠野病院 院長 郷右近祐司 先生

東日本大震災から10年目を迎えて

当院の位置する遠野市は、四方を美しい緑の山々に囲まれた盆地にあり、「民話のふるさと遠野」として、全国的にも有名な郷愁の漂う街です。

平成23年3月11日に発生した東日本大震災の被災直後は、給湯管破裂により、階下の5階病棟は水浸しの状態で使用出来ず、3階と4階に患者さんを振り分けて入院診療を継続しておりました。

3月14日からは通常外来診療を開始しましたが、応援医師が、交通事情により来院出来なくなり、数日間、休診となった診療科も生じたところです。

現在の小児科は、常勤医師1名体制であり、「東日本大震災小児医療復興新生事務局」からの支援として金~日曜日の夜間・休日応援(不定期)を得て、診療体制を維持しております。平成25年4月から現在までいただいたご支援は、120回以上となりました。

今後も、当院は、遠野市を中心に診療圏人口31,000人を対象とする地域総合病院として、12診療科、122床で運営し、「地域のニーズに応え、優しく患者さんに寄り添い、笑顔のある病院」をコンセプトとして、地域に密着した医療を積極的に行って参ります。

岩手県立遠野病院 院長 郷右近祐司

写真は院内栽培のブドウと、遠野病院正面玄関