事務局からのお知らせ

細矢光亮 先生を訪問!

今年度で退任される福島県立医科大学 小児科学講座

主任教授 細矢 光亮 先生を

日本小児救急医学会 東日本大震災継続支援WG

伊藤 正樹先生(公立相馬総合病院)、齊藤 修(先生都立小児総合医療センター)が

訪問されました

WG側からは、これまでの実績を示しながら、ほそくながく

本事業を継続できましたその御礼を述べて頂きました

細矢先生からは

当時の並々ならぬご苦労、そして今も深くこころに痛みを感じていることなどを

教えて頂きました

容易ならざる状況でも、ちいきの、福島の、東北の

こどもたちをずっとまもってくださっていること、

そしてこれまで本事業にご指導を頂きましたこと

厚く御礼申し上げます!!

事務局一同

写真 真ん中 細矢光亮先生

左 齊藤先生 右 伊藤先生

 

 

 

そして2024.3.11を迎えて

早いものです

13年を経ました

あれから、熊本地震、能登半島地震もありました

災害は、地域医療の疲弊を露呈させます

でも地域の力を、たくさん見せていただきました

 

わたしたちは、何が出来るのでしょうか

現在、何をすべきなのでしょうか

 

わたしたちは、負けず歩み続けます

地域と医療、こどものために

不来方便り 二月号 その4

ふるさとの山に向ひて言ふことなし

ふるさとの山はありがたきかな

 

石川啄木 一握の砂より

折角の絶景「岩手山」でしたので、再掲させて頂きました!

不来方便り 二月号 その3

石川啄木 一握の砂より

来方のお城の草に寝転びて空に吸はれし十五の心

ちょうどチラシの空とマッチします!?

不来方便り 二月号 その2

皆様

不来方(こずかた)ってご存じですか

ウィキペディアによりますと

不来方(こずかた)は、現在の岩手県盛岡市を指し示す言葉である。「盛岡」が都市名として使われ始めた時期については諸説あるが、「不来方」は、少なくとも570年の間存在する由緒ある名であることから、現在、盛岡の雅称として使われることがある。

南部氏による開府当時、居城名も「不来方城」であり、この時、都市名として「盛岡」という地名は存在しなかった。」

とあります

盛岡になったのは、いつか?、どうして盛岡か?

ウィキペディアには、岩手の由来とあわせて記述されています

どうぞ、不来方を、盛岡を、岩手を、東北を、探索してみませんか!