事務局からのお知らせ

「あの日」を振り返る 第2回

2016年7月1日 仙台において行われた第30回日本小児救急医学会学術集会

特別講演 「被災した陸前高田市の医療復旧と小児医療」 岩手県立高田病院

前院長 石木幹人先生より貴重なスライド資料を頂きました

ご許可を頂きましたので、本HPにて『「あの日」を振り返る』と題して

連載して参りたいと存じます

 

第2回は、津波襲来までの切迫した内容を石木先生より頂戴したスライドより

原文のまま転載させて頂きます

2011年3月11日 午後2時46分発災後より

「津波襲来まで1」

1階対策本部

津波警報の情報収集をするが、テレビ、ラジオいずれも機能しなかった。

3時20分ころ市内の有線放送から2・3mの津波が来るとの放送があり、対策本部を3階に移動した。

3階に移動した直後窓から津波が防潮堤を超えてくるのが見えた。

震災前の防災訓練で、想定は大きくても2階までというものであった

3階に備蓄物資が置かれていた

「津波来襲まで2」

4階病室

病室の対策を検討、津波が来れば1階にある自家発電機は使えなくなり、  人工呼吸器は停止する。

人工呼吸器を装着している3人の患者を一つの部屋に集めて管理することに決めた。 災害時の必要物品を準備し、患者が動きやすいように 点滴ラインを抜針してまわった。

(つづく、次回は気仙川を逆流し迫り来る津波の画像をお届けします)