事務局からのお知らせ

あの日を忘れずに 今を生きる 公立岩瀬病院

今年もあの日が、近づいて参りました

「あの日を忘れずに,皆とともに今を生きる」題して

過去の記事を抜粋し再掲させていただきます

 

まずは「公立岩瀬病院」(2020年11月18日掲載より)

翌日に新病棟への引っ越しを控えていた福島県須賀川市の公立岩瀬病院も、あの日大きな揺れに見舞われた。病院屋上の煙突が折れ、数トンに及ぶコンクリートの塊が検査室天井を直撃、また貯水槽の配管が破裂、貯水が滝のように中央階段に流れ込んだ。しかし、彼らは一丸となって100名を超える患者を余震のたびにボルトが抜けていく非常階段を使い、45分間で移送した。また停電の中、必死の思いでベッド搬送や医療資機材の手渡しリレーを行った。

それでもなお震災は彼らを苦しめた。東京電力福島第一原子力発電所の事故の全容が徐々に明らかになる中、病院上階よりみえる国道4号線は南に向かう車列で渋滞であった。那須塩原駅には、無数の車が乗り捨てられていた。一方で福島に向かう支援物資は皆無であった。「医療者」なのか「被災者」なのか苦悩が彼らを覆った。

東日本大震災継続支援ワーキング報告書の冒頭になります(本文はこちらこちら